2013/08/27

REAL DEAL

ほんものとそうじゃないものの区別がつきにくい今日この頃。
でも、この歌はほんものだ。










これもほんもの↓

The Who By Numbers


オリジナルメンバー後期のアルバムのDEMO。


2013/08/25

AFN(旧 FEN)



FEN。今はAFN(American Forces Network)というそうな。
で、8月も終わりに近い日曜日。246を下る正午前のFEN。

「No Quarter」ラジオでかかる曲ではない。



これだからカーラジオ好きなんです。
で、カーラジオと言えば「RCサクセション スローバラード」





彼女ができたら、市営グラウンドを捜すべ。

サチェル・ペイジ Satchel Paige


「史上最高の投手はだれか」。
久しぶりに読みました。

せっかくなんでwikipedia「サチェル・ペイジ」の項目に追加できるかな〜と、ごちゃごちゃやっていたらできました。


年別出来事・キャリア
1906年 ・7月7日、アラバマ州モービルで生まれる(役所の記載による)

1918年 ・12才 おもちゃを盗み教護院へ送られる。

1923年 ・17才 教護院を出る。

1924年 ・17才 黒人のセミプロチーム「モービル・タイガース」に入団。30勝1敗。
    (10月11日、カンザスシティにて第一回黒人(カラード)ワールドシリーズ。)

1926年 ・19才 黒人プロチーム「チャタヌガ・ブラック・ルックアウツ」に引き抜かれる。月給50ドル。

1928年 ・25才「バーミンガム・ブラック・バロンズ」に引き抜かれる。月給275ドル。

1929年 ・26才「ナッシュビル・エリート・ジャイアンツ」所属。
    ・シーズン終了後一時的に「ボルティモア・ブラック・ソックス」の巡業に参加。
     大リーグオールスターと対戦するもベール・ルースとの勝負の機会はなし。
    ・同シリーズでジミー・フォックスを三打席三振で抑える。

1933年 ・27才 ピッツバーグ・クロフォーズ所属。42試合31勝4敗。21連勝。
    (クール・パパ・ベル200試合で175盗塁)

1934年・28才 ノースダコダのビスマーク所属。105戦104勝
    ・大リーグ選抜相手に延長13回1-0で勝利
    ・ワールドシリーズの優勝チームカージナルスとサチェルを主力とした黒人リーグ選抜。
     9試合でカージナルスに2勝しか許さず

1935年 ・29才 40イニングで三振奪取60。MVP獲得

1937年 ・31才 ドミニカ大統領から三万ドルを受取チームを編成、ベネズエラ、ドミニカで8週間の巡業を行う。

1938年 ・32才 カンザスシティ・モナクス所属
    ・メキシコで腕を痛めるが復調。42年までの連続に優勝の立役者となる。
1939年・33才 カンザスシティ・モナクス所属。主戦投手としてモナクスの優勝に貢献。
    ・アラバマ州にて外野手引き上げのパフォーマンスが失敗。

1941年・35才 ニューヨーク・サン誌にて特集記事となり年齢を34歳から40歳としている。

1942年・36才 カンザスシティ・モナクス所属     
    ・ニグロワールドシリーズでグレイズ相手に4勝のうち3勝
    ・「インデペデント・プレイヤー(独立選手)」としてチームのユニフォームを着ずに「PAIGE」の名前だけの      ユニフォームを着用
    ・7月21日、ピッツバーグにてかつてのチームメイト「黒いベーブルース」ジョシュ・ギブソンと対戦。
     満塁にして勝負し三球三振に打ち取る。

1943年・37才 カンザスシティ・モナクス所属
    ・ニグロリーグ東西オールスターのファン投票で一位に選ばれる。オールスター戦の観客数は51723人。
1945年・39才 カンザスシティ・モナクス所属
    ・西海岸でのエキシビジョンでボブ・フェラーと投げ合う。

1947年・41才 カンザスシティ・モナクス所属。21勝0敗。
    (ジャッキー・ロビンソンがドジャース入団を前提にファームチームモントリオールに入団)

1948年・42才 クリーブランド・インディアンズ入団。初の大リーグ入り。

1948年・42才 クリーブランド・インディアンズ所属
    ・7月9日、本拠地クリーブランド市営球場セントルイス・ブラウンズ戦にて大リーグ初登板。     
     二回二安打無失点、三振一。
    ・先発した二度目の登板で完封勝利。
    ・8月20日、シカゴ・ホワイト・ソックス戦で78000人の観客を集める。
    ・大リーグ一年目の成績は6勝1敗セーブ数はおよそ10。防御率2.48。1敗はエラーによる失点で試合は0-1  
    ・「ボストン・ブレーブス」とのワールドシリーズ第五戦でシリーズ初登板。投球回数2/3。

1949年・43才 クリーブランド・インディアンズ所属
    ・大リーグ二年目4勝7敗。防御率3.04。シーズンオフに解雇。6シーズン通算28勝31負。

1950年・44才 大リーグを追われ「インデペデント・プレイヤー(独立選手)」としてプレイ。

1951年・45才 セントルイス・ブラウンズ(現カージナルス)所属。
    ・二度目の大リーグ入り。45才で3勝4敗、62イニングスで48奪三振。

1952年・46才 セントルイス・ブラウンズ(現カージナルス)所属。
    ・12勝10敗10セーブ。投球回数138イニングス奪三振91。被安打116四死球57。

1952年・47才 セントルイス・ブラウンズ(現カージナルス)所属。 
    ・オールスター出場
    ・3勝9敗。シーズン終了後にチームは売却され、ボルティモアに本拠地が移転。

1953年・2年連続オールスター出場。

1954年・50才 黒人リーグで148試合に登板。

1956年・51才 マイアミのマイナーリーグ「マイアミ・マリーンズ」で37試合に登板。
    ・11勝4敗防御率1.86。111イニング奪三振79。

1957年・52才 10勝8敗防御率2.42

1958年・53才 10勝10敗防御率2.95

1960年・55才 主にセミプロ球団で投げる。11イニングで22三振。

1961年・56才 3Aパシフィコ・コースト・リーグ「ポートランド・ビーバーズ」入団。
    ・5試合25イニング19奪三振。防御率2.88

1962年・57才 インディアナポリス・クラウンズ戦で5回6安打、7点を献上しノックアウト。
     (ジャッキー・ロビンソンとボブ・フェラーが野球殿堂入り)

1964年・58才 アラスカ・アースクエイクス所属。
    ・大リーグカンザスシティ・アスレチックスから入団のオファー。

1965年・59才 カンザスシティ・アスレチックス所属。
    ・9月25日、大リーグ最後の登板。レッドソックス戦三回一安打無失点。投球数28。

1968年・61才 ミズーリ州ジャクソン郡にてシェリフ(公選治安官)の代理となる。

1970年・63才「アトランタ・ブレーブス」入団。四度目の大リーグ入り。背番号65。

1971年・野球殿堂入り。但し大リーグでの経験10年という基準を満たしていないため特別枠。

1981年・10年を経て正規の資格者として「黒人としては」ではなく「黒人リーグから初めての」野球殿堂入り。

1982年・75才 カンザスシティのサチェル・ペイジ球場で始球式(亡くなる三日前)
     ・始球式の三日後死去http://ja.wikipedia.org/wiki/サチェル・ペイジ